生きづらさを抱えるアダルトチャイルドのための掲示板

アダルトちゃいるど亭

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天国と地獄 - ゆーき

2018/06/12 (Tue) 17:33:24

心炎さん、こんにちは。
連投失礼します。

最近改めて思ったことがあったので書き込みさせてください。

10数年前、スピリチュアルブームだったときによく見ていたTV番組の出演者が天国と地獄について語られていました。
その方の言葉は、
「人は死んでも生前の心象風景はずっと続く。豊かな気持ちで生きてきた人はその状態のまま、憎しみや怨みや後悔に生きてきた人はそれがそのまま来世のチャンスが来るまで永遠に続く」だったように僕は記憶していて、最近ふと思い出しました。
当時この話を初めて聞いたときすごく納得したのを覚えています。

僕はこのまま死んだら地獄行きは確実です。嫌です。早く辛いのから解放されたいです。

この話からすれば、
僕は、マイペースで自由人な父は天国行き、執着の鬼のような母は地獄行きだと思っています。
僕はあの母の子供なので自分を取り巻く環境や人に対する執着を手放す等まず不可能だろうと思ってきました、だから死んだらそれがずっと続く地獄行きだと。
針山を歩かされ、釜茹でにされ、休憩も許されず、水も食料も着るものも与えられず、でも見渡した周りの人達は簡単にそれらを手に入れている、それが永遠に続く地獄。これはぼくには比喩に思えません。

でもしばらく前に「でもゆーきは半分はお父さんの子なんだけどなぁー」と父に言ってもらえたのを覚えています。

「幸せは未来になるものじゃない、今感じるものだ」
(数年前に気付いた僕にとって重要な気付きです。)
この気付きを駆使し、言いたいことを言い、言われたら言い返し、好きなものを見、聞き、食べ、買い集め、満足に寝、好きな人と出来るだけ居られるようにしようと思って、今幸せでいることを実行している最中です。

大分ご無沙汰していたこちらへの書き込みを最近長文・連投でさせていただいているのは、「ねーねー!心炎さん、聞いてよー!あのね、今日ね、僕ね!○○なんだよー!」といった具合に子供をしたがっている僕が満足し癒やされるからでもあります。

以前は、暗い話は「いけない」、ダラダラ長く書いては「いけない」、自分ばかり連投しては「いけない」、そんなことも知らない・出来ない奴はいては「いけない」、でずっと生きてきている僕ですが、
今は自分が“そんな奴”になることで満足し、癒やされ、解放されてきています。

お菓子の食べ過ぎによる身体への影響は悩みどころではありますが、なるべく今の自分の満足・快適の道を行こうと思っています。

まだまだお話したいことたくさんあります!また別の記事にて投稿させてください。
読んでいただいてありがとうございました。長文・連投失礼しました。ゆーき

死後世界についてスピリチュアリズム的な説明です - 心炎

2018/06/18 (Mon) 03:55:24

ゆーきさん

 長文の連続投稿でもOKですよ。気にせず書き込んでください。

 地獄と天国は、自分がどちらに行く人間かという不安と恐れが、私も相当強かったのでよくわかります。

 それで、スウェーデンボルグはじめさまざまな霊界・死後世界探訪関係の本を読みました。

スピリチュアリズム畑をけっこう勉強しましたが、結論からいえば、自分の死後の世界を気にするような人は、地獄にいかないと思います。

 ここですべてを書くにはスペースがとても足りませんが、目に見えない世界とハイヤーパワーの実在を信じて、自分の良心にあまり反しない生き方をしていれば、地獄行きにはなりません。

 通俗的な「地獄に落とされる」「天国に挙げられる」という受動的な形で、人は死後の霊界に送り込まれるわけではありません。

 また、「生前の罪を神ないし審判者に裁かれる」というのも異なるようです。

 そうではなくて、生前にももっていた良心・内なるもう一人の善なる自分が、死後に強く純粋によみかえり、生前の自分の言動を思い返して、みずからを裁くというのが実態のようです。自分で裁き自分で罰することを選ぶということのようです。

 そこで、霊的な意味で素顔の自分に立ち戻り、みずから償いと浄化をさせる修行世界に一定期間おもむいて、浄化をすませたのちに自分にふさわしい世界に上がってゆくということのようです。そこでは、この世の表現でいえば、火と水の激しい行をするそうですので、それを受ける側にしてみれば、水責め地獄・火の海地獄のように感じられるでしょう。

 その償いと浄化の世界で味わう苦しみを「地獄」といったわけで、生前に良心に反する悪行のひどかった人ほど、その苦悩が激しくなるわけです。その霊人の意識状態にもよりますが、現世の一日が、地獄的世界では1年から3年に感じられ、天国的世界では逆に現世の一年が、一日とか数時間とかに感じられるそうです。このように時間の流れと感覚が、天国と地獄では驚くほど乖離しています。

 死後に地獄的な修行で長期間苦しむ人の生前での精神生活は、利己的・打算的・肉体欲望的に傾きすぎていることが多いようです。要するに「自分さえよければよい。人を押しのけてもだまして分捕っても、自分さえ生き延びられればいい」というような心根の人たちです。「他者への思いやり」「まごころ」「助け合いと譲り合い」を尊重しながら生きる人は、地獄的な状態におちることはありません。

 また、類は友を呼ぶ法則がそのままに適用される世界ということですので、善人だった人たちは、その人たちどうしが集まりますので、そこは天国になります。悪人だった霊たちが集まれば、そこは当然、傷つけあい苦しめあう地獄になります。なによりも恐ろしいのは、死後の世界には「死ぬ」という現象がありませんので、死んだとしてもすぐに生き返って苦しみを繰り返します。その中でしか、自分の悪に気づいて改心することができないわけです。

 善といい悪といい「内なる良心・内なる神」に、どの程度従って、あるいは逆らって生きたかによるわけです。ですので、悪というのは「内なる神」がひどく麻痺して凍結した状態であるともいえます。凍傷にかかった魂が、元の状態に戻るまでには、現世の肉体の凍傷から回復するのにひどい苦しみを味わうように、魂全体が苦しむことになります。

 普通の人間が極寒地で凍傷にかかるように、現世環境が霊的に良心が自我に圧倒されやすい環境にあると、そうなりやすいようです。つまり、悪人ももともとは良心を持つ人間であり、神の意識を分有している存在であることがわかります。

 そんなわけで、ゆーきさんは地獄行きは心配しなくてよいですよ。

大事なことは - 心炎

2018/06/18 (Mon) 04:08:34

 でも、大事なことは、おっしゃる通り、今を生きることですね。ACには、過去と未来しかなくて現在がありません。もっといえば「現在の自分」がありません。

 だから、死後の世界も気になりますが、やはり「今を幸せに生きる」ことを意識したいです。

 ACは過去の不幸の記憶にとらわれて、現在の幸福にまで気持ちがまわりませんし、未来も不幸なのではないかと恐れ、あるいは未来には完全な幸福がくるにちがいないと夢想し、いずれにしろ「今の幸せ」がありません。

 ちょうど、最近もゆーきさんと同様のことを想い、日記に以下のように書きました。

6・8
 過ぎたことへの悔やみや先々のことへの懸念や気がかりよりも、今この瞬間を生きるのだ。それ以外にいつ生きるのか。今、楽しく生きなければ、いつ楽しく生きるのか。今、充実して生きなければ、いつ充実して生きるのか。今、満足して生きなければ、いつ満足して生きるのか。今、生きている実感をもって生きずして、いつ生きている実感をもって生きるのか。今、生きないでいつ生きるのか。

 雀はちゅんちゅん、豚はぶうぶうと鳴く。彼らは彼らの本来の鳴き方で鳴く。彼らの体のつくりからして、そう鳴くようにできている。さて、私はどうか? どのように自分を自分らしく表現し、神々天地自然に生ましめられた通りに、そのようになっている通りに、表現できるであろうか。作り声や真似声でだけ鳴いてはいるまいか?


質問責め疲れ - ゆーき

2018/05/29 (Tue) 22:58:04

先日はありがとうございました。

心炎さんとお会いできて、再び就労する意欲が湧いてきた先週だったのですが、いざ募集企業一覧表を見た途端また萎縮して行動できなくなってしまいました。

加えて最近また父の質問責めが激しくなってきていて僕は参ってしまっていて、今物置部屋を逃げ場にして書き込ませてもらっています。

自分を主語に、しようとはしているつもりですが、次から次から質問されるのは酷くストレスで、小さな子供さんを持つ親御さん達の気持ちがわかる気がします。

父の僕への質問というのは彼にとっては特に意味のないもののようで、「今何時?!」「(TVに映ってる)あの人誰?!」「(僕との会話で)それ誰?!」「何?!」「どこ?!」「いつ?!」等、まだこちらが話している途中でも反射的・発作的に行われます。(自分で調べろよッ!)
さらに彼はこれらの質問に対する回答を「今すぐ」「接遇のような態度で」回答者(僕)がするのが当然だと思っているそうです。(本人談)
思い通りにならないと不機嫌を露わにします。
しかもうるさいから回答してやっても覚えてないこともしばしばです。
「俺はもう年だからすぐ忘れちゃうんだよ!(笑)」と彼はいつも言いますが、思い出せば僕が小学生の頃から彼はこうでした。アラサーってそんなに激しく物忘れする年齢なのでしょうか?(苦笑)
父も祖父母は他界して母も絶縁状態できっと寂しいのかな?とはちょっとは思います。

父と居るのが苦痛を理由に、就労と同時に3年程続いた一人暮らしも「自分ひとりでできる」とわかったのは良かったですが、やはり余りに寂しく心細く、パワハラからの退職を機に実家に戻った経緯がありまして、また一人暮らししたいとは思えないので現在不満を持ちつつも実家に居ます。

職場で受けた精神的苦痛に耐えられない状況のときは父が一緒にいてくれたことは本当に有り難かったです。大きな感謝でした。

それから半年程経ちましたが、現在は上記のように鬱陶しくて苦痛です(苦笑)。

感謝したりウザくなったり、親子ってこんなものなのでしょうか?

長文書き込みさせていただきましたが、現在の自分の問題に対する適切な対処とは何なのかが結局よくわかりません。
僕が早く再就職するってことなのかな??とも思います。

独り言のようですが、書き込みさせていただきありがとうございました。

心炎さん、またお茶できたら嬉しいです☆
それでは失礼します。
ゆーき





家族は距離感をとるのが最も難しい関係ですね - 心炎

2018/06/01 (Fri) 00:52:28

 ゆーきさん、書き込みをありがとう。先日はとても楽しく映画とお茶が出来てよかったです。
 親との関係は、ACはだれでもそうだと思いますが、とても距離感をとるのが難しいので、私もそうですが、気持ちはとてもよくわかります。
 私も実家にいたころはそうでしたね。
 いるとうっとうしいけど、いればいたで寂しさがまぎれるというのは、確かにあるんです。極端な言い方をすれば、有害な家族でも一緒にいてくれれば、孤独でいるよりはマシ、という感じでしょうか。
 まあ、一概にはいえませんが、そういうケースはほとんどが共依存を疑ったりするのですが。
 ほんとは、ひとりで孤独と向き合って、それを自力でできる範囲でなんとかするというのが「回復」であり「自立」ということになります。もちろん人によってさまざまな経緯がありますから、これも一概にはいえないですね。

 お父さんもさびしいんだねえ。
 ゆーきさんも、お父さんはわすらわしいとは思いますが、自分を見ることを忘れなければ、後退することはないと思いますよ。

 ACは、自分や家族の問題についてだれにも「話さない」、相談にのってくれる人がいるとは「信じない」、問題があるのに否認して「感じない」のが特徴です。
 ゆーきさんは、この三つの症状をクリアしているからこそ、こlの掲示板に書き込めているのだと思いますよ。

 また、そのうち、お茶しましょう。

コメントありがとうございました。 - ゆーき

2018/06/09 (Sat) 21:04:10

心炎さん、コメントありがとうございました。

僕の今の状態はまさに仰る通りで、「有害な家族でもひとりで寂しいよりマシ」状態です。
有害さはある父ですが、支えてくれるのも事実です。
そこが罠なのかもしれませんが、僕には見捨てないでくれるのは父が唯一の存在なのです。

(先程自分の書き込みを見直して、父が主語になってるなぁーと思いました。一方で、僕は父の生態について大分理解できてるなぁーとも思いました。)

自分には他に所属できる居場所がありません。父以外の人はいつか自分の元から離れていってしまう一時の甘いまやかしとしか思えないからです。

居場所がなければ自力での生活は困難です。約2年半のひとり暮らしで思い知りました。気楽に連絡を取り合える友人もおらず、ただ職場と自宅の行き来だけの孤独な生活は生きてるいる実感を見失いました。
新たに居場所を作ろうとしてもどうしていいかわからず(踏みだす勇気もなく)です。

※今、自分なりに書き込んでいる文を推敲していますが、ゆーきという人は本当に居場所が無く、孤独で、数え切れない「べき」に縛り付けられがんじがらめにされて身動きとれなくなっている姿がぼんやり見えました。

世界中の人間共は全て僕を脅かす危険な滅ぼすべき敵だ!と堅く信じた12才頃の世界観のまま現在も生きている僕にとっては、有害な部分があっても居場所になってくれる父はまさに救世主です。

その救世主から自ら離れようとは到底思えません。

心が痛いし苦しいですが、ついに本音がでできたと少しホッとしました。
長文になりましたが失礼します。ゆーき

拝読させていただきました - ハンドルネームを何にしたらいいか分からない

2018/03/17 (Sat) 18:07:41

自助グループH町GのYさんがしきりに私に勧めるのです。
「良いよーあのブログは良いよー。アンタみたいなACまみれのACオブACみたいなのはあのブログで勉強すべきだよー。だけど本人に教えていいって言われてないから自分で探しなぁ!!!勉強しなぁ!!!!ウフフフ笑」と毎週私にアドバイス下さるのです。
ずっと気になって探していたのですが。。。。

あの伝説のブログと出会えることができて非常に勉強に光栄でございます。

うっかり、このブログ主さんとお目にかかる機会が増えてしまいましたので、お目にかかった時に変に気を遣う事が無いように、そっと遠目の薄目で今後も拝読させて頂こうと思っております。

ブログ主さんの回復に信頼を置いております。
何かネガティブな事が今後書きたくなったときは、読者に気にせず好きなだけ今後も自由に心の向くまま書いて下さい。

直接ブログ主のご本人様に感想を述べる事は致しませんので、どんな記事も神様の介入の元、自由に楽しく幸福に過ごしてくださいますようお祈り申し上げます。

ありがとうございます。 - 心炎

2018/03/18 (Sun) 00:06:32

 ようこそいらっしゃいました。閲読、感謝申し上げます。何かコメントしたくなりましたら、この掲示板でもブログ記事へのコメント欄でもかまいませんので、お書きください。
 どの記事も、同じACの皆さんのだれかが、共感してくださっていると信じて、書き連ねております。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。

祈りを覚えて1 心炎

2017/09/11 (Mon) 00:31:52

 私が参加しているアルコールに問題のある人たちの自助会には、先輩の断酒者が後輩の断酒者に助言したり相談にのる個人的な断酒目的の関係を勧めています。その助言する側を、精神的な「スポンサー」と呼んでいます。お金をあげるわけではありません。断酒生活に必要な成功・失敗両方の体験の知恵を提供するというような意味です。
 私にも、年上のスポンサーがいました。善良な信仰心の篤い方でしたが、まだ酒をやめたての頃に、いっしょにファストフード店で雑談したときに、彼は私に力をこめてこういってくれました。

「祈りは相手に通じるんだよ。祈りは力があるんだよ」

 そのとき、私は素直にきくことができました。彼の言葉がほんとだと信じられました。祈りが相手に通じないなら、それは祈り方がまちがっているか、足りないのだと言外に教えられました。

 それ以来、自助会の中でも「平安の祈り(小さな祈り)」を覚え、さまざまなスローガンも学びました。それらのひとつひとつが、私にとっては重要でしたので、これからしばし、それらについての体験談を書き残しておきたいと思います。

祈りを覚えて2 心炎

2017/09/16 (Sat) 01:29:39

 最初に祈りらしいものをしたのは小学校2年生のとき。
 算数の授業で、問題を与えられ、答えができた児童は、先生の前に並んでノートに書いた答えが正しいかどうか採点してもらうという、子供にとってはどきどきものの時間だった。
 私は、自分の答にとても自信がなくて、まちがっていたらどうしようと、すごく気をもみながら列に加わった。
 あんまり不安なので「どうか答えが当たっていますように・・」と知らぬ間につぶやいていた。それを見た教諭が笑いながら「そんなに心配しなくてもだいじょうぶだよ」といってくれて恥ずかしい想いをした。
 そのときは、だれに祈るかなどまったく考えず、何か「運」のようなものがあって、それが自分に味方してくれることを期待していた。もちろん、答案ができた後に祈るのは、受験後に合格を祈るようなムダな行為なのだが、小学校2年生なのでそこまで考えが及ばなかった。
 しかし、この小学校2年のときの「不安で怖いときは人間以外の何かに、自分のために都合がよくなるように頼む」という姿勢は、基本的には祈りの動機として変わってはいない。
 もちろん、祈りが進化していくと「自分の都合がよくなるように頼む」という側面は薄くなってゆき、ひたすら自分以外の他者のために祈るという風になっていくが、世俗的な現世利益を出発点とする祈りの原点の気持ちに、私は小学校2年でなっていたことになる。

祈りを覚えて3 - 心炎

2017/09/28 (Thu) 02:35:33

 私が高校生だったころ、宗教宗派を問わず、祈りの意味などまったくわからなかった。無駄な無益な儀式の一作法としか思えなかった。まるで無知だったからだ。
 普通の人たちが寺社に詣でて結婚や受験や人生の節目での成功を祈願する行為も無駄なことだと思った。自分や家族のために祈ることもまったく理解できなかった。歴代アルコール依存症者のひどい家庭で、父親は全くの無神論者の上、道徳的情操を育てることが不可能な環境だったからである。
 実家で暮れや正月に、神棚に、御膳のお餅をお供えしたり、お盆お彼岸の御供養も、形式的な儀式だと思っていた。
 成人してのち、宗教に関心の高いひとたちと関わり、色々学ぶうちに、祈りがなにやら、様々な条件はあるにしろ、何らかの不可視の力、ある種の念力のような願望を達成する力であろうと思うようになった。
 キリストが祈りによって身体障害や眼病や難病を治したという福音書の記述を疑わず信じることもできた。しかし、それは自分にはとてもできないし、自分の祈る力などまったくとるにたりないし、願いがかなえられることも滅多にないと思っていた。
 祈りが効験を発揮するのは、聖者覚者や修練を積んだ人達だけで、自分のような一般人には気休め程度の祈りしかできないと思っていた。
 知識としては、神への祈りと悪魔に魂を売るような祈りと、善悪二種類あるらしいこともわかった。
 少なくとも神仏に「現世利益」を頼むには関心が薄かったし、そもそも神仏が自分の願いをかなえてくれるとは、まったく信じていなかった。そのくせ、占いにはまってしまったのは、「なんとか自分の力で運勢をよくしよう」という気持ちが強かったし、神仏に頼るような弱い人間にはなりたくなかったからだ。
 神仏の実在も信じず、祈ることも知らないくせに霊とか占いとか死後の世界とかに関心を持つ、霊的アナーキストだったわけだ。

ACの自助会に失望したこと - 心炎

2017/09/10 (Sun) 01:40:46

 自助会に継続して参加して、ある程度、回復した人たちは、だいたいが出席しなくなります。回復の度合いが高い人ほどそのようです。私も、ごくごくたまに出席する程度で、1年に一度行くか行かないかです。

 過去には、五年以上、継続して通っていたのですが、いつしかやめてしまったのは、いわゆる「分かち合い」の内容にげんなりするからです。最初の数年間はいいとしても、ある程度、わかってくると、だんだん回復していっている人とそうでない人の差がはっきりわかってきて、いつまでも同じ親への恨みごとを吐き出し続ける人や、回復する気がないとしか思えないふるまいをする人に我慢がならなくなってきました。

 分かち合いは、怨みや憎しみや痛みの吐き出しであると同時に、自分の欠点や問題点に気付いて回復していくための場所だと私は信じています。はじめのうちは、感情のたれながしでもかまいませんが、何年たっても同じことを垂れ流し続ける出席者をみると、本当にやりきれなく辛い気持ちにさせられます。

 ですから、私はACの自助会に出なくなりました。
 自助会に参加しようとしまいと、「変わりたい」と思わなければ、どこにいても変わることはできないからです。

さまざまな自助グループ団体の参加資格条件を調べてみました 心炎

2016/08/11 (Thu) 13:19:23

最近、12ステップと12伝統を用いている各自助グループ団体の中で、
メンバーが1~12までやっているところと、あまりできていないところとあるようなので、
それは各自助団体の「メンバー資格の条件」と何か関係があるのではないかと思いつき、
ちょっと調べてみました。以下がその結果です。

-------------------------------------------
●各自助Gの「メンバーになるために必要なこと」比較
(各団体の用いる案内文または「12の伝統」の文言を引用)

AA
飲酒をやめたいという願いだけである。

ALANON(家族会)
関係者または友達の中にアルコール依存症の問題を抱えた人がいるということだけである。

NA
(薬物を)使うことをやめたいという願望だけである。

NARANON(家族会)
家族や友人の中に薬物依存症の問題を持っているということだけである。

GA
ギャンブルをやめたいという願いだけである

GAMANON(家族会)
強迫的ギャンブラーに悩まされている自分自身に幸せが欲しいという願いだけなのです。

SA
性的な渇望をやめ、性的にしらふになりたいという願いだけである。

HA
ひきこもりの問題からよくなりたいという願いがあれば、誰でもなることができます。

OA
「自分の食べ方には何らかの問題がある」「食べ物を使って自分を傷つけるのをやめたい」 と思う気持ちがあれば、誰でも

DA
強迫的買い物・浪費・借金をやめたいという願いだけである。


ACA
アダルト・チャイルドの問題が自分に当てはまると認めることだけです。

ACA(ACoA=Adult Children of Alcoholics)
家族の機能不全の影響から回復したいと願うことだけです。

ACODA
機能不全家庭の影響から自由になりたいという願望だけである。

CoDA
他人や自分自身との健全で充実した関係を築こう、という願いがあることだけです。
-----------------------------------------------------

こう見ると「本人に回復への願いがある」ことを条件とする多数派と、
「自分やまわりに一定の条件があてはまる」ことを条件とする少数派があるようです。
それぞれ、そういう風に決めた必然的な経緯や理由があると思いますが、
それらの「資格条件」と「回復の進み具合」は関係あるのだろうかと気になります。
個人的な感想ですが、「この自助団体には12ステップ・12伝統全部が必要だろうか」と、
検討した方がいいのではないかと思うところもあります。

ブログに書かれたことは私の一部ですが、日常の全部ではありません。 心炎

2016/05/08 (Sun) 00:33:15

 昨年ぐらいから、この掲示板のホームになっているブログが暗いとかネガティブだとか、リアルの私のことも知っている人たちから心配されたりして、申し訳なく心苦しく思っています。

 私のブログは、私自身のもっとも暗い部分に気付き、直面し、それをあえて表現して回復の一助にする目的で続けています。ですから、文面だけ見ていると、私が常に自分の暗黒面に悩み苦しみ、真剣に対峙し続けているように思われるかもしれませんが、それは印象であって事実とは異なります。

 楽しいことやうれしいことは、もちろんありますし、絶望に沈んでいるわけではありません。希望ももちろんあります。

 たとえば、私は職場の近くのマンガ喫茶で昼休みを過ごすのですが、そこで『ゴルゴ13』全巻がそろっているのを見て、5年前の春ごろから、読破してやろうと決意しました。
 そして、昼休みを利用し毎日10~20分ぐらいずつ読み続け、今年の1月の半ばに、全179巻(当時の最新刊)を読了しました。1巻あたりだいたい3話ですからおよそ537話を読み切ったわけです。
 そして、いまも最近出たばかりの第180巻を読み始めています。

 こんな風に、小さな楽しみを見つけながら、日々の暮らしを過ごしておりますので、ブログで深刻なことを書いているからといって、そればかりを考えているわけではないことを、ここに記しておきます。

 ご心配をおかけしてメールなどくださった方々には、御礼とともにおわび申し上げる次第です。

最近、学んでいること 心炎

2016/03/19 (Sat) 02:53:17

 久々の投稿ですが、今年に入ってから「仏教」それも「原始仏教」に興味がわいて、ホテルや旅館においてある「仏教聖典」や、中村元(はじめ)という高名な仏教学者の本を読んだりしています。
 
 私が19歳から20年間ほど盲信していたカルト団体の教祖が「釈迦の生まれ変わり」などと自称していたくらい、お釈迦さまやお経のことを喧伝していたので、そのトラウマでここ10年以上、仏教は避けてきました。

 しかし、最近、それもとらわれがはずれてきたのか、本を買うだけは買っていたので、積ん読にしていたものを読み始めたら、これがすごくためになる。こんなにちゃんと読んだのことはなかったので新鮮です。

 おかげで、私のはまったカルトの教祖のでたらめぶりがはっきりわかりました。きちんとお釈迦さまの生涯と基本的な仏説について勉強して信じていれば「釈迦の生まれかわり」がとんでもないホラで、教祖が仏教を何も学んでいない証拠であるということがわかったはずなのです。

 だって「悟り」というのは「もう二度とこの世に生まれかわってこなくていい状態」なんですから。それが生まれかわってきたら「釈迦は実は悟っていなかった」ことになって自家撞着を起こしてしまうからです。教派がなんであろうと「釈迦の生まれ変わり」といいだしたら仏教としては、まったくアウトです。

 それはともかく、新約聖書のキリストの言葉と重なるところもたくさんあって、当然、12ステップとも重なるところもいろいろあり、実に興味深いです。

 それにしても、ユダヤ教の旧約聖書でも「濃い酒は飲むな」とあり、キリストの時代も「大酒飲み」は他者を貶める言葉であり、釈迦も「悟りを得るための修行をしているものの守るべき戒め」の中で「不飲酒(ふおんじゅ)」と明言しています。イスラム教も飲酒禁止が基本です。

 世界の主要宗教が三つとも「飲酒に否定的」というのはきわめて象徴的ですね。だいたい、ノアの洪水で有名なノアが、洪水後の人類最初の泥酔者として描かれているくらいですから、アルコール依存の実害ははるか昔から強烈だったんでしょう。

ありがとうございました - としさん

2015/10/01 (Thu) 22:31:45

明日 ミーティングが始まる前に
「あなたがいると 安心して分かち合いができません もう来ないでください」
きっぱり 短く言いたいと思います

Noという勇気

2015/10/02 (Fri) 02:26:37

 としさん、よく決心されたと思います。

 ACはNOといえない弱点がありますが、回復のために安全な場を確保するために、あえて「NO」を言わねばならないときがあります。

 それは、今後もさまざまな問題が生じた時にも、「相手に巻き込まれない」ために必要な勇気です。病気の症状まっただなかの酔っぱらった人が、周囲を巻き込んで、相手にも酔いや感情のスリップを起こさせる力は相当なものです。

 その悪影響から、自分や仲間を守るには、NOという勇気が必要です。
 だれにも、回復の場をこわしたり人を巻き込む権利はありません。いずれ酔いがさめるときがあれば、その人もわかってくれると思います。
 っていうか、その人は、としさんのグループを離れて酔いがさめるときがきたなら、きっとこれまで自分がかけた迷惑や、としさんにNOといわれたことなど、すっかり忘れているはずです。

 酔っぱらっている最中の出来事、特に他人に迷惑をかけたことを、依存症者は依存がとまってからも覚えていないものです。覚えていても、うっすらとしか記憶していませんし、全体の一割も記憶していないはずです。

 ですから、相手にNOをつきつけても、それで相手が傷つくとかトラウマになるとかはありませんので、心配しなくてもいいです。

困ったさんへの対応 - としさん

2015/09/22 (Tue) 19:47:15

4年くらい前から、ACの自助グループに参加しています
最近、薬物やアルコールなどの問題をもつ仲間が参加しているのですが、ミーティング中は終始落ち着かない様子です。
独り言・足を踏み鳴らす・動き回る・目を見開いたまま寝ている・・などの態度をとり「分かち合い」の妨げます。
この方が怖くて、会を離れていく仲間も出てきました。
ビジネスミーティングや個別に注意しても
「言いがかりだ」「会を支配するな」など、逆切れをしたり 会に対してもモンスタークレーマのような無理難題を突き付けるかと思えば。
「自分はそのようなことを言った覚えはない」など言います 
まるで、自分の言動に対して記憶がないように思えます。

アルコール依存症の「ドライドランク」という状態なのでしょうか?
会の安全を考えれば ACの自助グループから去ってほしいところなのですが・・・・
どうしたものでしょうか??


Re: 困ったさんへの対応 - 炎

2015/09/25 (Fri) 00:15:45

 こんばんは。本来なら、こういう質問は、同じ自助グループや似たような自助会メンバーの「スポンサー」に相談したりするものですが、ACの自助グループでは12ステップの4・5をやっていない人の方が多数派で、スポンサーシップの普及が弱い実態を知っていますので、少しお話ししたいと思います。

 まず、アルコールや薬物がらみで暴言を吐いたり理不尽な言動をとる人は、まだ精神というか脳みそが酔っぱらっているので、そんなに長くは会場に来続けられない場合がほとんどです。なぜなら、彼らはまだ底つきしていないので、回復が十分になるまで来ることができないのです。本当に本気で徹底的に「変わりたい」「治りたい」という気持ちになれていないのです。

 そういう前提をまずご理解いただいた上で、対処法としては、ほかのアルコール依存症や薬物の自助グループにも出席し続けることを勧めてみてください。まあ、酔っぱらってる人は、どの自助会へいっても長続きはしませんが。
 それで、ビジネスとかで進行をさまたげたり、むちゃくちゃいって議事に混乱をもたらすようなら「すみませんが席はずしてください」といってもかまいわないと思います。

 ミーティングはビジネスであろうとそうでなかろうと「参加者の回復のためにある」ものです。それを邪魔することは、本人がもっとも苦しみますし、ほかの参加者の回復の機会を邪魔することになるからです。「安全な場」の確保も大切なのはいうまでもありません。

 けれども、こういう事態は自助会にはつきものです。一般社会でも、それぞれの分野での困ったちゃんやクレーマーに悩まされることは決して珍しくありません。

 人の助言を求めたり相談も大切なのはもちろんですが、ステップを使って、不快感や嫌悪や恐怖や不安など、自分の心の動揺への対処法を見出す機会でもあると思います。それは、とてもつらいことですが、日々の棚卸をふくめて、「何が苦しいのか」「どうしてそんな気持ちになるのか」を探索しているうちに、解決法がみつかるのではないかと思います。

 スローガンに「これもまた過ぎ去る」というのがあります。
 それから、大事なことですが、何かグループに問題が起こったときも「この事態の原因は私ではない」ということを自分に言い聞かせてください。

 自分の責任がないことまで責任とってしまうACの特徴にはまらないように、十分に気をつけてスローガンを活用しながら乗り越えていかれることをお祈りします。



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