アダルトちゃいるど亭

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スパムがひどいので投稿チェックを強化しました。 - 心炎/管理人
2019/04/14 (Sun) 23:39:49
 昨夜、無慮、数百のスパムメールが押し寄せて、さきほどスパム報告を運営会社に送った上で、すべて手作業で削除しました。
 今後は、この事態を繰り返さないため、投稿される方には以前と同じ画像認証制とさせていただきます。投稿しずらくなるとは思いますが、なにとぞご理解のほど、お願い申し上げます。

                    管理人
ありがとうございました - かばこ E-mail
2019/01/20 (Sun) 19:44:12
心炎さん

こんにちは
お返事ありがとうございました。

毎日が苦しくて、すがる思いでした。
ご理解いただいたこと、本当にうれしかった。

ずっと悶々としていましたが
久々に、穏やかな気持ちで眠りました。

まだまだ自分の思考には、バイアスがかかっているようです。

気づかせていただきました。

また書き込みさせていただけると嬉しいです。

ありがとうございました。

毎日寒く、インフルエンザなども流行っていますが、心炎さんがお健やかに過ごせますように
Re: ありがとうございました - 心炎
2019/01/21 (Mon) 00:32:50
 かばこさん、なにかしらお役に立てたようで、私もうれしいです。「自分はひとりぼっちではない」という事柄を知るのは、とても大切なことです。

 またいつでも書き込んでくださいね。

無題 - かばこ E-mail
2019/01/14 (Mon) 18:03:23
心炎さん、こんにちは。
初めまして。

実家の母親と妹のことで、ずっとひとりで悶々としています。

誰かに話せば、自業自得といわれると思いますし、自分でも、自分でやったことの結果なので、それは受け入れなくてはいけないだろうと思うのです。

ですが、悲しくてやりきれない。

私はいわゆる「搾取子」と言われる子供でした。
昔はそういう言葉はなかったですが、ある時そう言う状況に気づいて、家を出、両親、妹と距離を置いて生きてきました。
親たちの要求は、ことごとくはねつけました。

ですが、ある時、母に電話で罵られ。
(父ががんなのに、妹にばかり手間をかけさせてどうしてお前は何もしない!と。私は病気でほぼ寝たきりの状態でした)
その時は何とか我慢したのですが。
あまりにもやり切れず。気持ちが昂るまま電話をかけ、罵詈雑言を両親、特に母親にぶちまけました。
罵詈雑言ですが、両親が日常的に私に吐いてきた言葉の数々を、ただ一度、私が彼らに逆に吐いた。あんたたちがいつも言ってたことばっかりだが、言われてどんな気持ちになった?と怒鳴ってやった。
親たちは逆切れして罵り返してきたが、いちいちそれをつぶして完膚なきまでに叩きのめしました。
これに関して、私はまったく悪いことをしたと思っていません。親を傷つけないように、自分が傷ついても何も言わなないでいた自分、一度くらい私の気のすむようにしたかった。非難されてもよいです。私は、この件に関しては自分を許しています。

その後、父が亡くなったが私には葬式の連絡もなし。私は体調がまだ回復しておらず葬式の手伝いもできない状態、何もできない私を母が許すはずがなく。私は葬式にもでられませんでした。

いろいろあって、母とその後電話で話すことがあり、父にお線香をあげに行く、という話になった際、その後母から電話があって一方的に罵られ。
私を最大限傷つけるような言葉を選んでいるのがありありの憎しみしか感じないものの言いよう。
父に、二度と私に家の敷居を跨がせるなと言われたからと、絶縁ということになりました。

絶縁、と母の側から言われたとき、私はものすごくほっとしたのです。それを言ったのは母のほうで、それに関する責任は母にあるからです。私が責任を負うことではない。

しばらく心安らかに暮らしていましたが、時々、発作のように悲しみとか、わけのわからない激しい負の感情がわいてきます。このままでよいのか、私はなにかしなければいけないのでは?

ですが、何かするとすれば、母への謝罪しかなく。
謝罪などすれば、今までのように母に踏みにじられる人生を送ることになる。
親は変わらないので、私が思い切って思いを断ち切るしかない。

なので、もう、私にはどうしようもないのだと。
絶縁の状態を受け入れて、その先にあるものも受け入れなければと思っています。

親戚一同からつまはじきものになっていても、母や妹から地味にいじわるが続いていても、私がぶちまけた罵詈雑言の結果なので、それは受け入れなくてはいけないことは十分承知なのに
悲しくてたまりません。

母が死んでも葬式に来るなと言われているので行きませんが、相続など、先にあるものを考えると気が滅入ります。
鬱になりそうです。

誰かに相談すれば「自業自得」と言われるでしょう。
なんでうまく立ち回れなかったとか、罵詈雑言吐かずに冷静に言い返せばよかったとか、私の過去の行いを責められると思います。
育ててもらったくせに、親に何もしてあげなかったのか?など言われるでしょうし、「被害妄想」「可哀そうぶりっこ」などと嘲られたりもするかもしれません。
(母や妹は何かにつけ私を「被害妄想」と責めます)

なので、だれにも言えません。

被害妄想を除いて、どこかでそれを認めて自分を責めているようでもあります。

何かに縋りたい気持ちです。

とりとめなく、愚痴を吐いてすみません。


心穏やかな人生はないのでしょうか
こんばんは。あなたはちっとも悪くありません。 - 心炎
2019/01/18 (Fri) 01:21:49
 はじめまして、かばこさん。
 こうして、いっぱい自分の心を書けて表現できているのですから、かばこさんは自分で自分の生き方をよくしてゆく力があると思います。

 ひとことで申し上げると、かばこさんがご家族から受けた仕打ちは、はたから見ると「理不尽」の一語につきます。理不尽な扱いをされて理不尽だと訴えるのは、表現方法がいかであれ正当なことだと思います。
 私がかばこさんと同じ立場だったら、やはり同じことをしたでしょうね。ですから、お気持ちもよくわかります。

 反省すべきは、むしろご家族の方だと思います。歩み寄る必要はないでしょう。失礼ながら、ご家族は全員が「自分たちは正しく非のうちどころがなく悪いのはぜんぶ他の人間」というAC家系によくある「無責任性機能不全」の症状を呈しておられますね。

 普通の親なら、内輪でもめた場合、「自分が悪かったのだろうか。こちらにも非はなかっただろうか」と家族どうしであっても、自分をふりかえるものです。それがまったくないというのは病的です。

 かばこさんを「いけにえ」にして他の家族が結束を保つという構造が見て取れます。かばこさんを絶縁すればスケープゴートを別にほかの親族や親戚に探すでしょう。そうして、だれか一人をいじめて虐待して非難して「私は正しい」という根拠のない思い込みを維持し続けるのでしょう。実に不幸なご家族です。

 かばこさんは、解放されたのだと思います。
 御自分を責める必要はありません。
 遠近の過去にされたしうちがあまりにもひどいので、その心の傷にさいなまれているとは思います。しかし、それらも過ぎ去りましたし、またいま苦しいことも過ぎ去ります。

 ただ、病弱な状態のようですから、とにかくご家族のことより、ご自分の身体と健康状態をいたわってあげてください。自分のケアをしてあげてください。ご家族のことはほっといていいです。

 投稿を歓迎しますので、苦しくなったら、また書き込んでくださいね。

天国と地獄 - ゆーき
2018/06/12 (Tue) 17:33:24
心炎さん、こんにちは。
連投失礼します。

最近改めて思ったことがあったので書き込みさせてください。

10数年前、スピリチュアルブームだったときによく見ていたTV番組の出演者が天国と地獄について語られていました。
その方の言葉は、
「人は死んでも生前の心象風景はずっと続く。豊かな気持ちで生きてきた人はその状態のまま、憎しみや怨みや後悔に生きてきた人はそれがそのまま来世のチャンスが来るまで永遠に続く」だったように僕は記憶していて、最近ふと思い出しました。
当時この話を初めて聞いたときすごく納得したのを覚えています。

僕はこのまま死んだら地獄行きは確実です。嫌です。早く辛いのから解放されたいです。

この話からすれば、
僕は、マイペースで自由人な父は天国行き、執着の鬼のような母は地獄行きだと思っています。
僕はあの母の子供なので自分を取り巻く環境や人に対する執着を手放す等まず不可能だろうと思ってきました、だから死んだらそれがずっと続く地獄行きだと。
針山を歩かされ、釜茹でにされ、休憩も許されず、水も食料も着るものも与えられず、でも見渡した周りの人達は簡単にそれらを手に入れている、それが永遠に続く地獄。これはぼくには比喩に思えません。

でもしばらく前に「でもゆーきは半分はお父さんの子なんだけどなぁー」と父に言ってもらえたのを覚えています。

「幸せは未来になるものじゃない、今感じるものだ」
(数年前に気付いた僕にとって重要な気付きです。)
この気付きを駆使し、言いたいことを言い、言われたら言い返し、好きなものを見、聞き、食べ、買い集め、満足に寝、好きな人と出来るだけ居られるようにしようと思って、今幸せでいることを実行している最中です。

大分ご無沙汰していたこちらへの書き込みを最近長文・連投でさせていただいているのは、「ねーねー!心炎さん、聞いてよー!あのね、今日ね、僕ね!○○なんだよー!」といった具合に子供をしたがっている僕が満足し癒やされるからでもあります。

以前は、暗い話は「いけない」、ダラダラ長く書いては「いけない」、自分ばかり連投しては「いけない」、そんなことも知らない・出来ない奴はいては「いけない」、でずっと生きてきている僕ですが、
今は自分が“そんな奴”になることで満足し、癒やされ、解放されてきています。

お菓子の食べ過ぎによる身体への影響は悩みどころではありますが、なるべく今の自分の満足・快適の道を行こうと思っています。

まだまだお話したいことたくさんあります!また別の記事にて投稿させてください。
読んでいただいてありがとうございました。長文・連投失礼しました。ゆーき
死後世界についてスピリチュアリズム的な説明です - 心炎
2018/06/18 (Mon) 03:55:24
ゆーきさん

 長文の連続投稿でもOKですよ。気にせず書き込んでください。

 地獄と天国は、自分がどちらに行く人間かという不安と恐れが、私も相当強かったのでよくわかります。

 それで、スウェーデンボルグはじめさまざまな霊界・死後世界探訪関係の本を読みました。

スピリチュアリズム畑をけっこう勉強しましたが、結論からいえば、自分の死後の世界を気にするような人は、地獄にいかないと思います。

 ここですべてを書くにはスペースがとても足りませんが、目に見えない世界とハイヤーパワーの実在を信じて、自分の良心にあまり反しない生き方をしていれば、地獄行きにはなりません。

 通俗的な「地獄に落とされる」「天国に挙げられる」という受動的な形で、人は死後の霊界に送り込まれるわけではありません。

 また、「生前の罪を神ないし審判者に裁かれる」というのも異なるようです。

 そうではなくて、生前にももっていた良心・内なるもう一人の善なる自分が、死後に強く純粋によみかえり、生前の自分の言動を思い返して、みずからを裁くというのが実態のようです。自分で裁き自分で罰することを選ぶということのようです。

 そこで、霊的な意味で素顔の自分に立ち戻り、みずから償いと浄化をさせる修行世界に一定期間おもむいて、浄化をすませたのちに自分にふさわしい世界に上がってゆくということのようです。そこでは、この世の表現でいえば、火と水の激しい行をするそうですので、それを受ける側にしてみれば、水責め地獄・火の海地獄のように感じられるでしょう。

 その償いと浄化の世界で味わう苦しみを「地獄」といったわけで、生前に良心に反する悪行のひどかった人ほど、その苦悩が激しくなるわけです。その霊人の意識状態にもよりますが、現世の一日が、地獄的世界では1年から3年に感じられ、天国的世界では逆に現世の一年が、一日とか数時間とかに感じられるそうです。このように時間の流れと感覚が、天国と地獄では驚くほど乖離しています。

 死後に地獄的な修行で長期間苦しむ人の生前での精神生活は、利己的・打算的・肉体欲望的に傾きすぎていることが多いようです。要するに「自分さえよければよい。人を押しのけてもだまして分捕っても、自分さえ生き延びられればいい」というような心根の人たちです。「他者への思いやり」「まごころ」「助け合いと譲り合い」を尊重しながら生きる人は、地獄的な状態におちることはありません。

 また、類は友を呼ぶ法則がそのままに適用される世界ということですので、善人だった人たちは、その人たちどうしが集まりますので、そこは天国になります。悪人だった霊たちが集まれば、そこは当然、傷つけあい苦しめあう地獄になります。なによりも恐ろしいのは、死後の世界には「死ぬ」という現象がありませんので、死んだとしてもすぐに生き返って苦しみを繰り返します。その中でしか、自分の悪に気づいて改心することができないわけです。

 善といい悪といい「内なる良心・内なる神」に、どの程度従って、あるいは逆らって生きたかによるわけです。ですので、悪というのは「内なる神」がひどく麻痺して凍結した状態であるともいえます。凍傷にかかった魂が、元の状態に戻るまでには、現世の肉体の凍傷から回復するのにひどい苦しみを味わうように、魂全体が苦しむことになります。

 普通の人間が極寒地で凍傷にかかるように、現世環境が霊的に良心が自我に圧倒されやすい環境にあると、そうなりやすいようです。つまり、悪人ももともとは良心を持つ人間であり、神の意識を分有している存在であることがわかります。

 そんなわけで、ゆーきさんは地獄行きは心配しなくてよいですよ。
大事なことは - 心炎
2018/06/18 (Mon) 04:08:34
 でも、大事なことは、おっしゃる通り、今を生きることですね。ACには、過去と未来しかなくて現在がありません。もっといえば「現在の自分」がありません。

 だから、死後の世界も気になりますが、やはり「今を幸せに生きる」ことを意識したいです。

 ACは過去の不幸の記憶にとらわれて、現在の幸福にまで気持ちがまわりませんし、未来も不幸なのではないかと恐れ、あるいは未来には完全な幸福がくるにちがいないと夢想し、いずれにしろ「今の幸せ」がありません。

 ちょうど、最近もゆーきさんと同様のことを想い、日記に以下のように書きました。

6・8
 過ぎたことへの悔やみや先々のことへの懸念や気がかりよりも、今この瞬間を生きるのだ。それ以外にいつ生きるのか。今、楽しく生きなければ、いつ楽しく生きるのか。今、充実して生きなければ、いつ充実して生きるのか。今、満足して生きなければ、いつ満足して生きるのか。今、生きている実感をもって生きずして、いつ生きている実感をもって生きるのか。今、生きないでいつ生きるのか。

 雀はちゅんちゅん、豚はぶうぶうと鳴く。彼らは彼らの本来の鳴き方で鳴く。彼らの体のつくりからして、そう鳴くようにできている。さて、私はどうか? どのように自分を自分らしく表現し、神々天地自然に生ましめられた通りに、そのようになっている通りに、表現できるであろうか。作り声や真似声でだけ鳴いてはいるまいか?


質問責め疲れ - ゆーき
2018/05/29 (Tue) 22:58:04
先日はありがとうございました。

心炎さんとお会いできて、再び就労する意欲が湧いてきた先週だったのですが、いざ募集企業一覧表を見た途端また萎縮して行動できなくなってしまいました。

加えて最近また父の質問責めが激しくなってきていて僕は参ってしまっていて、今物置部屋を逃げ場にして書き込ませてもらっています。

自分を主語に、しようとはしているつもりですが、次から次から質問されるのは酷くストレスで、小さな子供さんを持つ親御さん達の気持ちがわかる気がします。

父の僕への質問というのは彼にとっては特に意味のないもののようで、「今何時?!」「(TVに映ってる)あの人誰?!」「(僕との会話で)それ誰?!」「何?!」「どこ?!」「いつ?!」等、まだこちらが話している途中でも反射的・発作的に行われます。(自分で調べろよッ!)
さらに彼はこれらの質問に対する回答を「今すぐ」「接遇のような態度で」回答者(僕)がするのが当然だと思っているそうです。(本人談)
思い通りにならないと不機嫌を露わにします。
しかもうるさいから回答してやっても覚えてないこともしばしばです。
「俺はもう年だからすぐ忘れちゃうんだよ!(笑)」と彼はいつも言いますが、思い出せば僕が小学生の頃から彼はこうでした。アラサーってそんなに激しく物忘れする年齢なのでしょうか?(苦笑)
父も祖父母は他界して母も絶縁状態できっと寂しいのかな?とはちょっとは思います。

父と居るのが苦痛を理由に、就労と同時に3年程続いた一人暮らしも「自分ひとりでできる」とわかったのは良かったですが、やはり余りに寂しく心細く、パワハラからの退職を機に実家に戻った経緯がありまして、また一人暮らししたいとは思えないので現在不満を持ちつつも実家に居ます。

職場で受けた精神的苦痛に耐えられない状況のときは父が一緒にいてくれたことは本当に有り難かったです。大きな感謝でした。

それから半年程経ちましたが、現在は上記のように鬱陶しくて苦痛です(苦笑)。

感謝したりウザくなったり、親子ってこんなものなのでしょうか?

長文書き込みさせていただきましたが、現在の自分の問題に対する適切な対処とは何なのかが結局よくわかりません。
僕が早く再就職するってことなのかな??とも思います。

独り言のようですが、書き込みさせていただきありがとうございました。

心炎さん、またお茶できたら嬉しいです☆
それでは失礼します。
ゆーき





家族は距離感をとるのが最も難しい関係ですね - 心炎
2018/06/01 (Fri) 00:52:28
 ゆーきさん、書き込みをありがとう。先日はとても楽しく映画とお茶が出来てよかったです。
 親との関係は、ACはだれでもそうだと思いますが、とても距離感をとるのが難しいので、私もそうですが、気持ちはとてもよくわかります。
 私も実家にいたころはそうでしたね。
 いるとうっとうしいけど、いればいたで寂しさがまぎれるというのは、確かにあるんです。極端な言い方をすれば、有害な家族でも一緒にいてくれれば、孤独でいるよりはマシ、という感じでしょうか。
 まあ、一概にはいえませんが、そういうケースはほとんどが共依存を疑ったりするのですが。
 ほんとは、ひとりで孤独と向き合って、それを自力でできる範囲でなんとかするというのが「回復」であり「自立」ということになります。もちろん人によってさまざまな経緯がありますから、これも一概にはいえないですね。

 お父さんもさびしいんだねえ。
 ゆーきさんも、お父さんはわすらわしいとは思いますが、自分を見ることを忘れなければ、後退することはないと思いますよ。

 ACは、自分や家族の問題についてだれにも「話さない」、相談にのってくれる人がいるとは「信じない」、問題があるのに否認して「感じない」のが特徴です。
 ゆーきさんは、この三つの症状をクリアしているからこそ、こlの掲示板に書き込めているのだと思いますよ。

 また、そのうち、お茶しましょう。

コメントありがとうございました。 - ゆーき
2018/06/09 (Sat) 21:04:10
心炎さん、コメントありがとうございました。

僕の今の状態はまさに仰る通りで、「有害な家族でもひとりで寂しいよりマシ」状態です。
有害さはある父ですが、支えてくれるのも事実です。
そこが罠なのかもしれませんが、僕には見捨てないでくれるのは父が唯一の存在なのです。

(先程自分の書き込みを見直して、父が主語になってるなぁーと思いました。一方で、僕は父の生態について大分理解できてるなぁーとも思いました。)

自分には他に所属できる居場所がありません。父以外の人はいつか自分の元から離れていってしまう一時の甘いまやかしとしか思えないからです。

居場所がなければ自力での生活は困難です。約2年半のひとり暮らしで思い知りました。気楽に連絡を取り合える友人もおらず、ただ職場と自宅の行き来だけの孤独な生活は生きてるいる実感を見失いました。
新たに居場所を作ろうとしてもどうしていいかわからず(踏みだす勇気もなく)です。

※今、自分なりに書き込んでいる文を推敲していますが、ゆーきという人は本当に居場所が無く、孤独で、数え切れない「べき」に縛り付けられがんじがらめにされて身動きとれなくなっている姿がぼんやり見えました。

世界中の人間共は全て僕を脅かす危険な滅ぼすべき敵だ!と堅く信じた12才頃の世界観のまま現在も生きている僕にとっては、有害な部分があっても居場所になってくれる父はまさに救世主です。

その救世主から自ら離れようとは到底思えません。

心が痛いし苦しいですが、ついに本音がでできたと少しホッとしました。
長文になりましたが失礼します。ゆーき
拝読させていただきました - ハンドルネームを何にしたらいいか分からない
2018/03/17 (Sat) 18:07:41
自助グループH町GのYさんがしきりに私に勧めるのです。
「良いよーあのブログは良いよー。アンタみたいなACまみれのACオブACみたいなのはあのブログで勉強すべきだよー。だけど本人に教えていいって言われてないから自分で探しなぁ!!!勉強しなぁ!!!!ウフフフ笑」と毎週私にアドバイス下さるのです。
ずっと気になって探していたのですが。。。。

あの伝説のブログと出会えることができて非常に勉強に光栄でございます。

うっかり、このブログ主さんとお目にかかる機会が増えてしまいましたので、お目にかかった時に変に気を遣う事が無いように、そっと遠目の薄目で今後も拝読させて頂こうと思っております。

ブログ主さんの回復に信頼を置いております。
何かネガティブな事が今後書きたくなったときは、読者に気にせず好きなだけ今後も自由に心の向くまま書いて下さい。

直接ブログ主のご本人様に感想を述べる事は致しませんので、どんな記事も神様の介入の元、自由に楽しく幸福に過ごしてくださいますようお祈り申し上げます。
ありがとうございます。 - 心炎
2018/03/18 (Sun) 00:06:32
 ようこそいらっしゃいました。閲読、感謝申し上げます。何かコメントしたくなりましたら、この掲示板でもブログ記事へのコメント欄でもかまいませんので、お書きください。
 どの記事も、同じACの皆さんのだれかが、共感してくださっていると信じて、書き連ねております。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。
祈りを覚えて1 - 心炎 E-mail
2017/09/11 (Mon) 00:31:52
 私が参加しているアルコールに問題のある人たちの自助会には、先輩の断酒者が後輩の断酒者に助言したり相談にのる個人的な断酒目的の関係を勧めています。その助言する側を、精神的な「スポンサー」と呼んでいます。お金をあげるわけではありません。断酒生活に必要な成功・失敗両方の体験の知恵を提供するというような意味です。
 私にも、年上のスポンサーがいました。善良な信仰心の篤い方でしたが、まだ酒をやめたての頃に、いっしょにファストフード店で雑談したときに、彼は私に力をこめてこういってくれました。

「祈りは相手に通じるんだよ。祈りは力があるんだよ」

 そのとき、私は素直にきくことができました。彼の言葉がほんとだと信じられました。祈りが相手に通じないなら、それは祈り方がまちがっているか、足りないのだと言外に教えられました。

 それ以来、自助会の中でも「平安の祈り(小さな祈り)」を覚え、さまざまなスローガンも学びました。それらのひとつひとつが、私にとっては重要でしたので、これからしばし、それらについての体験談を書き残しておきたいと思います。

祈りを覚えて2 - 心炎 E-mail
2017/09/16 (Sat) 01:29:39
 最初に祈りらしいものをしたのは小学校2年生のとき。
 算数の授業で、問題を与えられ、答えができた児童は、先生の前に並んでノートに書いた答えが正しいかどうか採点してもらうという、子供にとってはどきどきものの時間だった。
 私は、自分の答にとても自信がなくて、まちがっていたらどうしようと、すごく気をもみながら列に加わった。
 あんまり不安なので「どうか答えが当たっていますように・・」と知らぬ間につぶやいていた。それを見た教諭が笑いながら「そんなに心配しなくてもだいじょうぶだよ」といってくれて恥ずかしい想いをした。
 そのときは、だれに祈るかなどまったく考えず、何か「運」のようなものがあって、それが自分に味方してくれることを期待していた。もちろん、答案ができた後に祈るのは、受験後に合格を祈るようなムダな行為なのだが、小学校2年生なのでそこまで考えが及ばなかった。
 しかし、この小学校2年のときの「不安で怖いときは人間以外の何かに、自分のために都合がよくなるように頼む」という姿勢は、基本的には祈りの動機として変わってはいない。
 もちろん、祈りが進化していくと「自分の都合がよくなるように頼む」という側面は薄くなってゆき、ひたすら自分以外の他者のために祈るという風になっていくが、世俗的な現世利益を出発点とする祈りの原点の気持ちに、私は小学校2年でなっていたことになる。

祈りを覚えて3 - 心炎
2017/09/28 (Thu) 02:35:33
 私が高校生だったころ、宗教宗派を問わず、祈りの意味などまったくわからなかった。無駄な無益な儀式の一作法としか思えなかった。まるで無知だったからだ。
 普通の人たちが寺社に詣でて結婚や受験や人生の節目での成功を祈願する行為も無駄なことだと思った。自分や家族のために祈ることもまったく理解できなかった。歴代アルコール依存症者のひどい家庭で、父親は全くの無神論者の上、道徳的情操を育てることが不可能な環境だったからである。
 実家で暮れや正月に、神棚に、御膳のお餅をお供えしたり、お盆お彼岸の御供養も、形式的な儀式だと思っていた。
 成人してのち、宗教に関心の高いひとたちと関わり、色々学ぶうちに、祈りがなにやら、様々な条件はあるにしろ、何らかの不可視の力、ある種の念力のような願望を達成する力であろうと思うようになった。
 キリストが祈りによって身体障害や眼病や難病を治したという福音書の記述を疑わず信じることもできた。しかし、それは自分にはとてもできないし、自分の祈る力などまったくとるにたりないし、願いがかなえられることも滅多にないと思っていた。
 祈りが効験を発揮するのは、聖者覚者や修練を積んだ人達だけで、自分のような一般人には気休め程度の祈りしかできないと思っていた。
 知識としては、神への祈りと悪魔に魂を売るような祈りと、善悪二種類あるらしいこともわかった。
 少なくとも神仏に「現世利益」を頼むには関心が薄かったし、そもそも神仏が自分の願いをかなえてくれるとは、まったく信じていなかった。そのくせ、占いにはまってしまったのは、「なんとか自分の力で運勢をよくしよう」という気持ちが強かったし、神仏に頼るような弱い人間にはなりたくなかったからだ。
 神仏の実在も信じず、祈ることも知らないくせに霊とか占いとか死後の世界とかに関心を持つ、霊的アナーキストだったわけだ。
ACの自助会に失望したこと - 心炎
2017/09/10 (Sun) 01:40:46
 自助会に継続して参加して、ある程度、回復した人たちは、だいたいが出席しなくなります。回復の度合いが高い人ほどそのようです。私も、ごくごくたまに出席する程度で、1年に一度行くか行かないかです。

 過去には、五年以上、継続して通っていたのですが、いつしかやめてしまったのは、いわゆる「分かち合い」の内容にげんなりするからです。最初の数年間はいいとしても、ある程度、わかってくると、だんだん回復していっている人とそうでない人の差がはっきりわかってきて、いつまでも同じ親への恨みごとを吐き出し続ける人や、回復する気がないとしか思えないふるまいをする人に我慢がならなくなってきました。

 分かち合いは、怨みや憎しみや痛みの吐き出しであると同時に、自分の欠点や問題点に気付いて回復していくための場所だと私は信じています。はじめのうちは、感情のたれながしでもかまいませんが、何年たっても同じことを垂れ流し続ける出席者をみると、本当にやりきれなく辛い気持ちにさせられます。

 ですから、私はACの自助会に出なくなりました。
 自助会に参加しようとしまいと、「変わりたい」と思わなければ、どこにいても変わることはできないからです。

さまざまな自助グループ団体の参加資格条件を調べてみました - 心炎 E-mail
2016/08/11 (Thu) 13:19:23
最近、12ステップと12伝統を用いている各自助グループ団体の中で、
メンバーが1~12までやっているところと、あまりできていないところとあるようなので、
それは各自助団体の「メンバー資格の条件」と何か関係があるのではないかと思いつき、
ちょっと調べてみました。以下がその結果です。

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●各自助Gの「メンバーになるために必要なこと」比較
(各団体の用いる案内文または「12の伝統」の文言を引用)

AA
飲酒をやめたいという願いだけである。

ALANON(家族会)
関係者または友達の中にアルコール依存症の問題を抱えた人がいるということだけである。

NA
(薬物を)使うことをやめたいという願望だけである。

NARANON(家族会)
家族や友人の中に薬物依存症の問題を持っているということだけである。

GA
ギャンブルをやめたいという願いだけである

GAMANON(家族会)
強迫的ギャンブラーに悩まされている自分自身に幸せが欲しいという願いだけなのです。

SA
性的な渇望をやめ、性的にしらふになりたいという願いだけである。

HA
ひきこもりの問題からよくなりたいという願いがあれば、誰でもなることができます。

OA
「自分の食べ方には何らかの問題がある」「食べ物を使って自分を傷つけるのをやめたい」 と思う気持ちがあれば、誰でも

DA
強迫的買い物・浪費・借金をやめたいという願いだけである。


ACA
アダルト・チャイルドの問題が自分に当てはまると認めることだけです。

ACA(ACoA=Adult Children of Alcoholics)
家族の機能不全の影響から回復したいと願うことだけです。

ACODA
機能不全家庭の影響から自由になりたいという願望だけである。

CoDA
他人や自分自身との健全で充実した関係を築こう、という願いがあることだけです。
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こう見ると「本人に回復への願いがある」ことを条件とする多数派と、
「自分やまわりに一定の条件があてはまる」ことを条件とする少数派があるようです。
それぞれ、そういう風に決めた必然的な経緯や理由があると思いますが、
それらの「資格条件」と「回復の進み具合」は関係あるのだろうかと気になります。
個人的な感想ですが、「この自助団体には12ステップ・12伝統全部が必要だろうか」と、
検討した方がいいのではないかと思うところもあります。

ブログに書かれたことは私の一部ですが、日常の全部ではありません。 - 心炎 E-mail
2016/05/08 (Sun) 00:33:15
 昨年ぐらいから、この掲示板のホームになっているブログが暗いとかネガティブだとか、リアルの私のことも知っている人たちから心配されたりして、申し訳なく心苦しく思っています。

 私のブログは、私自身のもっとも暗い部分に気付き、直面し、それをあえて表現して回復の一助にする目的で続けています。ですから、文面だけ見ていると、私が常に自分の暗黒面に悩み苦しみ、真剣に対峙し続けているように思われるかもしれませんが、それは印象であって事実とは異なります。

 楽しいことやうれしいことは、もちろんありますし、絶望に沈んでいるわけではありません。希望ももちろんあります。

 たとえば、私は職場の近くのマンガ喫茶で昼休みを過ごすのですが、そこで『ゴルゴ13』全巻がそろっているのを見て、5年前の春ごろから、読破してやろうと決意しました。
 そして、昼休みを利用し毎日10~20分ぐらいずつ読み続け、今年の1月の半ばに、全179巻(当時の最新刊)を読了しました。1巻あたりだいたい3話ですからおよそ537話を読み切ったわけです。
 そして、いまも最近出たばかりの第180巻を読み始めています。

 こんな風に、小さな楽しみを見つけながら、日々の暮らしを過ごしておりますので、ブログで深刻なことを書いているからといって、そればかりを考えているわけではないことを、ここに記しておきます。

 ご心配をおかけしてメールなどくださった方々には、御礼とともにおわび申し上げる次第です。