アダルトちゃいるど亭

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天国と地獄 - ゆーき
2018/06/12 (Tue) 17:33:24
心炎さん、こんにちは。
連投失礼します。

最近改めて思ったことがあったので書き込みさせてください。

10数年前、スピリチュアルブームだったときによく見ていたTV番組の出演者が天国と地獄について語られていました。
その方の言葉は、
「人は死んでも生前の心象風景はずっと続く。豊かな気持ちで生きてきた人はその状態のまま、憎しみや怨みや後悔に生きてきた人はそれがそのまま来世のチャンスが来るまで永遠に続く」だったように僕は記憶していて、最近ふと思い出しました。
当時この話を初めて聞いたときすごく納得したのを覚えています。

僕はこのまま死んだら地獄行きは確実です。嫌です。早く辛いのから解放されたいです。

この話からすれば、
僕は、マイペースで自由人な父は天国行き、執着の鬼のような母は地獄行きだと思っています。
僕はあの母の子供なので自分を取り巻く環境や人に対する執着を手放す等まず不可能だろうと思ってきました、だから死んだらそれがずっと続く地獄行きだと。
針山を歩かされ、釜茹でにされ、休憩も許されず、水も食料も着るものも与えられず、でも見渡した周りの人達は簡単にそれらを手に入れている、それが永遠に続く地獄。これはぼくには比喩に思えません。

でもしばらく前に「でもゆーきは半分はお父さんの子なんだけどなぁー」と父に言ってもらえたのを覚えています。

「幸せは未来になるものじゃない、今感じるものだ」
(数年前に気付いた僕にとって重要な気付きです。)
この気付きを駆使し、言いたいことを言い、言われたら言い返し、好きなものを見、聞き、食べ、買い集め、満足に寝、好きな人と出来るだけ居られるようにしようと思って、今幸せでいることを実行している最中です。

大分ご無沙汰していたこちらへの書き込みを最近長文・連投でさせていただいているのは、「ねーねー!心炎さん、聞いてよー!あのね、今日ね、僕ね!○○なんだよー!」といった具合に子供をしたがっている僕が満足し癒やされるからでもあります。

以前は、暗い話は「いけない」、ダラダラ長く書いては「いけない」、自分ばかり連投しては「いけない」、そんなことも知らない・出来ない奴はいては「いけない」、でずっと生きてきている僕ですが、
今は自分が“そんな奴”になることで満足し、癒やされ、解放されてきています。

お菓子の食べ過ぎによる身体への影響は悩みどころではありますが、なるべく今の自分の満足・快適の道を行こうと思っています。

まだまだお話したいことたくさんあります!また別の記事にて投稿させてください。
読んでいただいてありがとうございました。長文・連投失礼しました。ゆーき
死後世界についてスピリチュアリズム的な説明です - 心炎
2018/06/18 (Mon) 03:55:24
ゆーきさん

 長文の連続投稿でもOKですよ。気にせず書き込んでください。

 地獄と天国は、自分がどちらに行く人間かという不安と恐れが、私も相当強かったのでよくわかります。

 それで、スウェーデンボルグはじめさまざまな霊界・死後世界探訪関係の本を読みました。

スピリチュアリズム畑をけっこう勉強しましたが、結論からいえば、自分の死後の世界を気にするような人は、地獄にいかないと思います。

 ここですべてを書くにはスペースがとても足りませんが、目に見えない世界とハイヤーパワーの実在を信じて、自分の良心にあまり反しない生き方をしていれば、地獄行きにはなりません。

 通俗的な「地獄に落とされる」「天国に挙げられる」という受動的な形で、人は死後の霊界に送り込まれるわけではありません。

 また、「生前の罪を神ないし審判者に裁かれる」というのも異なるようです。

 そうではなくて、生前にももっていた良心・内なるもう一人の善なる自分が、死後に強く純粋によみかえり、生前の自分の言動を思い返して、みずからを裁くというのが実態のようです。自分で裁き自分で罰することを選ぶということのようです。

 そこで、霊的な意味で素顔の自分に立ち戻り、みずから償いと浄化をさせる修行世界に一定期間おもむいて、浄化をすませたのちに自分にふさわしい世界に上がってゆくということのようです。そこでは、この世の表現でいえば、火と水の激しい行をするそうですので、それを受ける側にしてみれば、水責め地獄・火の海地獄のように感じられるでしょう。

 その償いと浄化の世界で味わう苦しみを「地獄」といったわけで、生前に良心に反する悪行のひどかった人ほど、その苦悩が激しくなるわけです。その霊人の意識状態にもよりますが、現世の一日が、地獄的世界では1年から3年に感じられ、天国的世界では逆に現世の一年が、一日とか数時間とかに感じられるそうです。このように時間の流れと感覚が、天国と地獄では驚くほど乖離しています。

 死後に地獄的な修行で長期間苦しむ人の生前での精神生活は、利己的・打算的・肉体欲望的に傾きすぎていることが多いようです。要するに「自分さえよければよい。人を押しのけてもだまして分捕っても、自分さえ生き延びられればいい」というような心根の人たちです。「他者への思いやり」「まごころ」「助け合いと譲り合い」を尊重しながら生きる人は、地獄的な状態におちることはありません。

 また、類は友を呼ぶ法則がそのままに適用される世界ということですので、善人だった人たちは、その人たちどうしが集まりますので、そこは天国になります。悪人だった霊たちが集まれば、そこは当然、傷つけあい苦しめあう地獄になります。なによりも恐ろしいのは、死後の世界には「死ぬ」という現象がありませんので、死んだとしてもすぐに生き返って苦しみを繰り返します。その中でしか、自分の悪に気づいて改心することができないわけです。

 善といい悪といい「内なる良心・内なる神」に、どの程度従って、あるいは逆らって生きたかによるわけです。ですので、悪というのは「内なる神」がひどく麻痺して凍結した状態であるともいえます。凍傷にかかった魂が、元の状態に戻るまでには、現世の肉体の凍傷から回復するのにひどい苦しみを味わうように、魂全体が苦しむことになります。

 普通の人間が極寒地で凍傷にかかるように、現世環境が霊的に良心が自我に圧倒されやすい環境にあると、そうなりやすいようです。つまり、悪人ももともとは良心を持つ人間であり、神の意識を分有している存在であることがわかります。

 そんなわけで、ゆーきさんは地獄行きは心配しなくてよいですよ。
大事なことは - 心炎
2018/06/18 (Mon) 04:08:34
 でも、大事なことは、おっしゃる通り、今を生きることですね。ACには、過去と未来しかなくて現在がありません。もっといえば「現在の自分」がありません。

 だから、死後の世界も気になりますが、やはり「今を幸せに生きる」ことを意識したいです。

 ACは過去の不幸の記憶にとらわれて、現在の幸福にまで気持ちがまわりませんし、未来も不幸なのではないかと恐れ、あるいは未来には完全な幸福がくるにちがいないと夢想し、いずれにしろ「今の幸せ」がありません。

 ちょうど、最近もゆーきさんと同様のことを想い、日記に以下のように書きました。

6・8
 過ぎたことへの悔やみや先々のことへの懸念や気がかりよりも、今この瞬間を生きるのだ。それ以外にいつ生きるのか。今、楽しく生きなければ、いつ楽しく生きるのか。今、充実して生きなければ、いつ充実して生きるのか。今、満足して生きなければ、いつ満足して生きるのか。今、生きている実感をもって生きずして、いつ生きている実感をもって生きるのか。今、生きないでいつ生きるのか。

 雀はちゅんちゅん、豚はぶうぶうと鳴く。彼らは彼らの本来の鳴き方で鳴く。彼らの体のつくりからして、そう鳴くようにできている。さて、私はどうか? どのように自分を自分らしく表現し、神々天地自然に生ましめられた通りに、そのようになっている通りに、表現できるであろうか。作り声や真似声でだけ鳴いてはいるまいか?